乗り継いだ先

つよしAlberto

2012年03月10日 10:33

岩手県盛岡市にいます。

一昨日8日の深夜
東京に入って
昨日9日の早朝に
東京駅から盛岡駅に向かった。

雪が積もっている。





昨日は諸会議の後、
去年の震災復興支援で友人になった
岩手のYと少しばかりの時間を共有した。



 
  ・・・本当に無神経だったと思う。

この時期に祭りのようの
被災地に押しかけて
一年前を振り返るなんて。

浅はかだった。


みぞれ混じりの街中で
彼の涙もみぞれのように
重々しく見えた。

この場面で私自身が
もらい涙をすると
なんだか、
自分の軽薄な心持ちを
すべて明かされるような気がしたから、
上をむいて、努めて無表情を装った。

素直じゃない行為だったが
他になすべきことが見つからなかった。

自分自身の行動も
報道も、国の動きも、街のうわさも
何もかもが上滑りしているように思える。



Yのおふくろさんはまだ見つかっていない。

その事実を伝えるのは
ほとんど不可能ではないかと感じた。


明日までこの街にとどまるが
慰霊祭に出席する俺の行動が
偽善か否かを考えることで
ほとんどの時間を費やすだろう。

乗り継いだ先にあるものを
表現できない。
だからせめて
『表現できないことがある』
ということだけは
持ち帰りたい。。。